令和3年11月の法話会『末法の時代の仏教』を
動画にて配信しております。
どうぞご覧ください。
1052年(永承7年)は末法元年とされ、
末法はお釈迦様の教えを実践する人、 覚りを開く人がいなくなる時代。
この末法では念仏を称えて来世に極楽往生するしかなく、
そのためには阿弥陀仏の来迎(お迎え)が必須とされたました。
平安貴族たちは、来世の極楽往生に憧れ、 念仏を称えて来迎を待ちました。
「来迎はあるのだろうか」と心配する心境を察するとき、
小中学校時代のバスでの通学が思い出されました。
JR京都駅から乗る某大学の学生で満員の市バスの重なる通過に、
なす術を持たなかった、子供ながらの苦い憂鬱な思い出が甦ります。
臨終の来迎とは全く対照的な、
親鸞聖人の力説された「平生業成」について、考えます。