本願寺からのお知らせ

2022年9月28日

令和4年9月法話会動画『ご先祖と仏壇』を配信しております。

どうぞご覧ください。

 

「仏壇を購入したら、御本尊がおまけに付いていた」

と聞くことがあります。

御本尊は「おまけ」で良いのか。

仏壇を買った後も、

うっかり「おまけ」のまま放置されていないでしょうか。

仏壇のそもそもの意味を、改めて考えます。


2022年8月30日

令和4年8月法話会動画『現世利益 念仏で病気が治る?』を配信しております。

どうぞご覧ください。

浄土真宗には、
「来世に極楽に往生して成仏する」という、
来世の御利益しかないと思われているかも知れません。
もしそうであれば、これはとんでもない誤解です。
 
念仏を称えて
お金が儲かる、病気が治るなど、目に見える、
物質的な「いわゆる現世利益」はないですが、
他からでは得ることのできない、
素晴らしい「心の現世利益」があります。
 

2022年7月26日

令和4年7月法話会動画『来世をみつける』を配信しております。

どうぞご覧ください。

「来世はあるのか、ないのか」、折にふれて議論にのぼる難題です。

急いで解決すべき問題であるとわかっていながら、

答えも出ないまま放置してしまっているのではないでしょうか。

これは、実際に来世をみつけた人のお話です。

この機会に、いま一度、「来世」について考えてみましょう。


2022年6月29日

令和4年6月法話会動画『贈りもの』を配信しております。

どうぞご覧ください。

 

お墓や葬儀について、

「子どもたちに迷惑をかけたくない」というお話を

よく耳にします。

それよりも、子供たちのためにしてあげるべき

大切なことがあります。

迷惑をかけないどころか、

子供たちに残してあげられる

素晴らしい贈りものとは何でしょうか?

 


2022年4月29日

令和4年4月法話会動画『父(東本願寺第24代法主) 身業説法の人』を配信しております。

どうぞご覧ください。

先代・父(東本願寺第24代法主)の命日にあたり、

在りし日の父に思いを馳せる。

 

「念仏成仏これ真宗」が口癖で、

「身業説法の上人」との定評がありました。

身業説法とは、

所作などの身体の動きや行動、立ち居振る舞いによって、

人に感銘を与えることによる説法のことで、

口業説法(口で話すことによる説法。いわゆる「お説教」)に対して言う。

 

昭和10年、第22世現如上人13回忌法要の秘蔵映像も合わせてご覧ください。


2022年4月5日

令和4年3月法話会動画『母 今でも耳に残るあのひと言』を配信しております。

どうぞご覧ください。

 

 

母(大谷智子・東本願寺前裏方)の三十三回忌にあたって、

耳に残り、心に残っている言葉を紹介します。

 

神仏は、おねだりの対象と考えていた子供心に、

「お念仏はお願いのために称えるのではなく、お礼のためなのよ!」

という母の言葉。

謎をかけられた思いで、少しずつそれを解いていく、自身の経験談です。


2022年3月7日

令和4年2月の法話会『本願寺のお正月 修正会(しゅしょうえ)』を動画にて配信しております。

どうぞご覧ください。

前回に続いて、お正月のお話。

本願寺での伝統の修正会(しゅしょうえ)について、

三帰依(さんきえ)を中心に解説します。

 

「初詣」と言えば、ごく一部の寺院を除いて、神社へのお詣りが定番です。

「お正月、お寺はひっそりとしていて、何もしていないのでは」 と

考えられているかもしれないですが、 とても大事な法要を勤めています。


2022年2月1日

令和4年1月の法話会『本願寺のお正月 御献盃』を動画にて配信しております。

どうぞご覧ください。

本願寺伝統の儀式「御献盃」を紹介します。
ご先祖であり宗祖である、親鸞聖人にお屠蘇を献じて、
新年を祝います。
大谷一門だけで行う新年の儀式で、
かつては、非公開で行われていた本願寺のご献盃。
ご先祖・宗祖と1対1の静かに厳粛なひと時。
今回から2回にわたって、本願寺のお正月を紹介します。

2021年12月29日

令和3年12月の法話会『お別れ』を動画にて配信しております。

どうぞご覧ください。

 

「愛別離苦」
(大切な人ともいつかは別れなければならない苦)は、
誰しも経験しなければならない四苦八苦の一つです。
 
お通夜や葬儀にお参りする第1の目的は、
亡くなった方に敬いのまことを捧げ、ご遺族を慰めることです。
 
そのお悔みのご挨拶にあたって、
悲しみに暮れるご遺族に寄り添いながら、
ご遺族と故人の大切にされている宗教への配慮が
大切であることは、言うまでもありません。
 

2021年12月6日

令和3年11月の法話会『末法の時代の仏教』を

動画にて配信しております。

どうぞご覧ください。

 

1052年(永承7年)は末法元年とされ、

末法はお釈迦様の教えを実践する人、 覚りを開く人がいなくなる時代。

この末法では念仏を称えて来世に極楽往生するしかなく、

そのためには阿弥陀仏の来迎(お迎え)が必須とされたました。

平安貴族たちは、来世の極楽往生に憧れ、 念仏を称えて来迎を待ちました。

 

「来迎はあるのだろうか」と心配する心境を察するとき、

小中学校時代のバスでの通学が思い出されました。

JR京都駅から乗る某大学の学生で満員の市バスの重なる通過に、

なす術を持たなかった、子供ながらの苦い憂鬱な思い出が甦ります。

 

臨終の来迎とは全く対照的な、

親鸞聖人の力説された「平生業成」について、考えます。


  • Youtube
  • Facebook
真宗東派 嵯峨本願寺 京都市右京区嵯峨鳥居本北代町21