本願寺について
龍

本願寺は、宗祖親鸞聖人の血脈(けちみゃく)を今に伝える東本願寺大谷家当主が法主(ほっしゅ)(※1)として住職をつとめる浄土真宗の本山です。

文永9年(1272年)親鸞聖人の末娘である覚信尼公が大谷廟堂(びょうどう)(※2)を建立された後、元享元年(1321年)第3世覚如上人が亀山天皇より「本願寺」の寺号をいただかれました。慶長7年(1602年)第12世教如上人の時に本願寺は東西に分かれることになります。

それ以降も代々大谷家当主が「法主」として本願寺を守ってきました。しかしながら、昭和44年(1959年)頃からいわゆる「お東紛争」が起こり、結論として大谷家は平成17年(2005年)JR京都駅前にある真宗本廟(旧東本願寺)を出て、この嵯峨の地に本願寺を建立することになりました。

浄土真宗の教えは、宗祖聖人が御存命のときですら誤った方向に向かおうとすることがしばしばあり、歴代の法主はその都度その是正に命を懸けてきました。先代大谷光暢法主(第24世闡如上人)もまたその一人であり、お東紛争も、教えの歪曲を法主が是正しようとしたために起こった争いです。

しかし、ついに法主の願いは成らず、聖人の正しい教えを堅持し後世に残すには東本願寺を他所に移転するしかないと決断し、教えの燈台、すなわち真の本願寺を建設する計画を進める途中で、平成5年(1993年)に遷化(せんげ)(※3)されました。

先代 光暢法主の遺言にしたがって第25世を継承した現住 大谷光道法主(秀如上人)は、先述のように平成17年11月JR京都駅前の真宗本廟(旧東本願寺)を退去し、嵯峨に移転することになったものです。

※1 法主:親鸞聖人の教えを今の社会に広め、また後の時代に伝える責任者で、間違った教えを唱える者が居ればそれを正す役目もあり、平たく言えば「教えの番人」のことです。

※2 廟堂:親鸞聖人のお墓と、そこに建てられた御堂。

※3 遷化:高僧の死去のこと

本願寺
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